日暮れて、四方は暗く

どこで何を発言すべきかがいまだにごっちゃになっている。だからか、私もオフィシャルなのかプライベートなのかわからなくなって定期的に病んでしまう。

オープンな性格なのはいいのだけれど、年齢と共に立場が増し加えられていく。役割も少しずつ増えていくし、同じベクトルでも移動範囲が異なっていくせいかプライベートがより重要になっていくように感じている。

ぷんちゃんとのこともなかなか難しいときがある。ぷんちゃんに話したことがいつの間にか書籍化してくださいというレベルで大事になっていたり、世間話程度だった内輪のことがいつの間にか尾ひれがついて、すいすいすいすいと見ず知らずに人のもとへ行ってしまう。尾ひれなど最初からなかったのにという悔しい思いを弟と共に抱えなければいけないような状況も時々発生している。

私の思考や哲学を商品にはできない。既存の科学に属するような形式ばったものではないからだ。思想や哲学を商品にしてしまってはそこに利益損益という感覚が無意識に加味していく。良い思想だったとしても哲学だったとしても途端に揚げ足取りの標的にされてしまう。

されど、完全なる公の、たとえばこのようなブログで掲載していくと、それはそれで乱用して曲解して自分の意見のように語られてしまう。成長して私の手を離れていくのならかまわないが、成長した子供でも時に悪い大人に搾取されることはある。私はそれを懸念している。

分離の必要性を感じる。11月がすでにそこまで迫っている。良い転換の時期かもしれない。

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もうすぐ関東に帰る。

日増しに寒くなり、日増しに日が短くなってきている。赤紫の力強い燃える夕陽がいつの間にかグレーと群青の鎮静の青に姿を変えている。頬をかまいたちがピリっと切り裂き私たちの歩みを止まらせればひとりぼっちを思い知らされ、わらが燃える匂いは家路を急がせ家族の食卓の温かさを思い出させる。夏がワンナイトラブのような若い恋愛の季節だとしたら、収穫の秋は家族の季節だと私は思う。

ぷんちゃんの胸で眠りたい。秋は家族の季節だから。

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