NO BORDER ,NISSHIN


病床の父の命をつないでいるのは何を隠そうカップラーメンだ。厳密にいえばカップラーメンの汁が父の食欲の橋渡しをしている。

流動食から少し固形物が食べられるようになってきたものの、天候や気圧、その日のストレスに大きく影響されやすい。そんな体でも、飲み会の〆で毎度お世話になったラーメンだけは楽しかった思い出と共に消えることのない食欲なのだと私はホクホクしながら見ている。ラーメンの汁は少し脂身があって出汁がきいていて、香ばしくて、一杯飲んだだけでもいろんな楽しさを口の中で催してくれる。

カップラーメンの始祖、安藤百福さんには心より感謝を申し上げたい。父の命をつないでくれてありがとう!父の食欲をつないでくれてありがとう。

つないでくれるとか、橋渡しをすると私が表現することには理由がある。カップラーメンの汁を一杯飲むと「じゃああれも食べてみようかな」と気力がわいてくるのだ。その時に食べられなくても食べたいもののアイディアが次から次へと湧いてくる。命をつなぎ、食事と食事をつなぐ。

退院してから二週間、父は外出していない。山々が初冠雪を迎えたということも、庭木の色づきも写真で見せている。テクノロジーと、国破れて山河在りではないが、父が生まれたその時から変わらずあり続ける山々と川にも感謝している。

私の街も幾度も合併を繰り返している。町名が変化したことから表現として国破れては妥当だろう。この街で父は生まれ育った。勤務先にもこの街から向かった。最初は電車で通勤し、お金をためて車で通勤するようになり、見事45年間勤めあげて勇退した。転職は一度もなし。私自身、ころころと気分が変わりやすいからこそ、45年間一筋で勤め上げたことは尊敬しかない。我が家の土台もやぐらも柱も父だった。それが私は誇らしかった。

父は今病床の身であるが、父の傍らで仕事をしているとき私はとても満たされ安心しきっていいる。とても守られている感覚になる。私の大樹は父だ。

ファザコンは自覚がある。

4歳くらいのときだったか、父は私に言った「俺とメグは仲間だからな」。男の子特有のアレであろうと今の私なら理解できる。週刊少年ジャンプなどでよく見かけるアレである。私が娘であることは実際不服な部分が多かったらしい。男の子が欲しかったとよく聞かされた。

柔軟性の高い父は私が娘だからと言ってがっかりすることはなかった。なぜなら私に対して息子のように接し、男の子を育てるように育てることで自分の思いとうまく折衷させたからだ。

私は自分が男っぽいとは思わない。お化粧が好きだし、おしゃれをすることも好きだし、何より男の子に恋をするから。ただし、マインドは無意識に男なのかもしれないと思っている。できないと泣いている女の子に対してかいがいしく世話を焼くのが好きだし、守られるよりも守りたいと思うことの方が自分が自分らしくいられると感じるらだ。

父の命をつなぐカップラーメン。今はカップラーメンだが来年のクリスマスごろにはいっしょに博多ラーメンでも食べにいけたらいいと願う。この二週間のラーメンラインナップの中で一番感動したのが博多ラーメンだった、「俺、豚骨博多ラーメン食ったの初めてだ」。

パパ、元気になって博多も一緒に行こうな!!





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