tomorrow tonight

あなたの明日になりたいの、と歌うLooteの[tomorrow tonight]は2021年私が一番聞いた曲らしい。思えばすでに10月目前、今年も残り3か月、36歳まで4か月となっていた。

あなたの明日になりたいのと言うからにはその前の晩を共に過ごさねばならない。おしゃれな表現である。しかも、離れた恋人に対して「あんな意地悪を他の女の子にして私の気を引きたいのはわかっていた。バカげている、どうしちゃったの?」と冷静にたしなめる。ふたりだけが知る秘密の感情にゾクゾクした。

淡白な恋愛観を持っているのは、一緒にいるときだけに見せたい表情があるから。距離感も連絡頻度も淡白なのは、ふたりでいるときに恥も弱さもバカらしさも晒して互いの弱みを握りあって縛ってしまいたいからだ。リベンジポルノなんていう言葉が一世を風靡した。私は相手が好きならばリベンジポルノに使えそうな写真を自ら差し出す。これを利用して私を縛っておいてというつもりで。

執着するつもりはない。相手に嫌われたその時点で私の人生は終了の通告が手渡されるようなものだから。執着して嫌われるくらいならさっと身を引く。いや、そんな勇気も持っていない。嫌われたかもしれないと感じたら火消しにも走らない弱虫だ。火消しのために言い訳をすることさえ思いつかない。言い訳をしてさらに嫌われるというリスクを背負いたくないからだ。嫌われたと感じたら私は姿を消す、跡形もなく。お礼も謝罪も文句もなく消えていく。私もこの先の人生を生きていかねばならないから。

心が揺れる、メンタルが乱高下する。文章が書けない、愛されたいと願いじっとりとした瞳で相手を見つめるのに行動ができない。実家からの電話で一喜一憂し、当たり屋のように身内の発信の言葉尻をとらえては八つ当たりする。

寂しがり屋の腐れ外道が、自律二足歩行をしてくれたらと願いながらも、ひたすら私の家のインターフォンを鳴らし続けてほしいとも思っている。執着してほしいと渇望しながら開放してくれと懇願する。

何がしたいの?と怒られたいのかもしれない。はっきりしろ!と独占欲をもっと示してほしいと駄々をこねているのかもしれない。

ひとりに決めきれない時間が楽しい。決めきれないから毎日泣いている。自業自得の涙と悦び。

私のまわりには素敵な人が多すぎる。そんな言葉で世間は許さないだろうが、私の率直な気持ちだ。

みんな素敵で甲乙つけられない。みんな寂しがり屋で放っておくことができない。恋愛と家族は違うと言われるが、私は人に序列をつけられない。大切なものは大切で、良いものは良いものだから。そこに色も看板も入り込んでは来ない。

身内になれば私は彼らの暗部にさらに深く入り込む。より、弱さを知ることになる。もう戻れないほどに。またプライベートな私は外では見せない弱さを晒してしまう。敵はいまだに多い。すると身内の意識はさらに強くなっていく。

求められることに辟易としている。それでもドアをたたき続けてほしいと懇願する。

どうしようもないことはわかっている。






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