父の入院がもうすぐ1か月となる。病院嫌いで健康体、よく働き、どんなに酔っぱらっても、仕事で午前様になっても家でご飯を食べお風呂に入る人だったから、母にとっては人生初に近い一人暮らしをしている。お嬢様で世間知らずというよりは、「おまえは何もできない」というレッテルを祖父母に貼られてしまい、専業主婦の道を歩まされたための母だから65歳を過ぎてはじめてやることも多い。それでも孤軍奮闘しながら65を過ぎての一人暮らしを頑張っているらしい。
遠方に住む娘に迷惑をかけまいとあまり愚痴を言わなくなった。父との不仲は相変わらずで、着替えのやりとりだけでも口論となるようだが、その時も今までは感情をただぶつけるだけだったが、今は引くところは引き、押すところは時間をあけて主張するようになった。
一番驚き、同時に尊敬したのは実家の台所に蛇が出没した話だった。母は蛇が大の苦手で、テレビに出るだけで顔をそむける。長くにょろにょろしているところが気持ち悪いらしい。昨日の出がけに台所へ行ったら蛇を見つけた。顔が青ざめる中、とりあえずは台所の扉をしめて、お見舞いに向かったそうだ。まず、ここの判断がすばらしい。以前の母なら誰かに助けを求め「あとはよろしくね」となってしまっていたが、お見舞いに行くという優先順位を考慮して、蛇を閉じ込める作戦に出た。父の入院している病院は車で30分ほど。私と同様、小心者でガラスのハートの母が30分の運転を無事にやりきったこと、もっと言えば、往復して無事に帰ってきたことはすごいことだと思う。また、冷静だったのは、その車中で蛇をどう撃退するかという点を考え続けたことで、父方の祖父が竹ぼうきで追い払ったことを思い出したそうな。
父方の祖父もまた蛇の嫌いな人だったけれど、母が嫁いできたばかりのころ車庫で蛇と遭遇し竹ぼうきで撃退してくれたことを娘の私にありがたがってよく話していた。
母は実家を賛美する人だが、危機的な状況で思い出したのがお舅さんのことだったとは不思議だと思った。
何よりも私が同じ立場であれば蛇を撃退しようと考えられないと思ったし、お見舞いに行くこともあきらめてしまって、近所に姉がいるのだからすぐに呼び出したと思う。
母よ、あなたはすごい。強くなったし心から尊敬する。
父は大黒柱として入院中も役割を果たしてくれている。何もしていないように見えても、今まで私たちにしてくれていたことが、私たちを奮い立たさせている。
本人が苦しんでいるときでさえ、精神的支柱でありマネジメントのお手本となる人、それが家族にとって大黒柱だと感じる。私たちひとりひとりが柱となればその家のやぐらはより強固なものとなる。
絆とか家族という言葉は今安易になりすぎて、使うたびにどこか安っぽさを感じさせられる。ただの囲い文句に聞こえるから使うことさえ私たちにはふさわしくないと思うことが多々ある。
同じ屋根の下で家を支える柱はたとえ一本であっても腐ってしまっては加重の比率が変わってしまうように、誰がかけてもその家は家族とは言えなくなる。そう考えれば、どこまでが家族であり、どこまでに絆という言葉を使えるかがわかるはずだ。
ちなみに人間一人が持てる家族は1つだけ、戸籍だけではない。仕事の仲間、プライベートの友達、血族、そして血族以上の家族、それらすべてを同じ言葉で言い換えるとするならば家族なのである。屋台骨となるひとりひとりの構成員こそ家族なのである。
0コメント