人生の総決算は葬式に出る。どんなに悪く言われようとも、どんなに変な噂がたとうとも、その人の葬式でどれだけの人が嘆き悲しみ惜別の思いを表したかを見ればどれだけ偉大な人であったかが証明される。
生れたときは何も持っていなかった私たちが生きる過程で様々な財宝を手に入れていく。その財宝が有り余るものだと気づけた人々は富の分配に尽力する。足るを知るとは謙虚の源だ。
誰かに何かしてあげたいという思いは生れたときから誰もが持っている。いつの間にか様々な雑事に慣れてしまい私たちは気が回らなくなってしまう。
のんびり生かしてもらっている私には人の何億倍にも増して有り余る財宝がある。だから富の分配を決めた。のんびり生かしてもらっているから心の機微に気づきやすい。のんびり生かしてもらっているから「どうしたの?」と気をつかってあげられる。貧しいけれど豊かな私には現時点で役割がある。誰もがそうであるように。
発信のしすぎは文章の質を悪くする。以前の放送時に気づいたことだった。最近の私の文章力は劣悪だ。見ていても気持ち悪いし、言葉が出てこないことにいらいらする。
人に寄り添うほどに自分の財宝は減っていく。ボランティアとは身銭を切って人に尽くしていくことだから、いらいらしているのは自分に対してであって感情としては幸福だった。
されど、自らが幸福でなければ誰も幸福にすることはできない。笑顔もポジティブも連鎖反応だし、発せられるオーラの中心には私たち人間の心臓がある。鼓動が整っていない限り私たちは美しいオーラを発することさえできなくなる。
人に甘えるとか頼ることがいまいちわかっていない。寄り添いあって生きていくことこそ、いずれ相手に頼ってもらえる生き方であることを頭ではわかっているのに、手が出ない、足が出ない。
毎日いくつかのことを決断できている。明日には明日の風が吹くからまた明日はどうなっているかわからないけれど。
疲れたら相手の発信に甘えようと思った。体がしんどかったら相手に楽しませてもらおうと思った。私だけが動き続けていたらいずれ彼らがしんどい時に本当の意味で私に頼ってもらえなくなる。
9月も彼岸を過ぎて、私の身の回りがまた一段と騒がしくなってきた。
呼び方もあだ名も面倒だが、つけておかないと文句も言えないからここに記録しておく。永久保存版だ。
<古参勢>
センセイ、恋人(命の管理者)
陰キャ、恋人2(血潮のペースメーカー)
ヤリチン、友達以上恋人未満(好きww嘘、冗談ww)
ルーキー、憧れ(期待しかない末っ子)
<親友枠>
兄さん、恩師(最高にいい人!いじるところひとつもない)
舎弟、落ち着け(そこがかわいいけれど)
<新参者>
フジ、ダークホース(プラチナ系)
ボタン、明後日の方向(宿曜なら栄親)
レンゲ、安全パイ(雑魚寝組兼旦那)
シャクヤク、参謀(弟)
ツバキ、要注意・危険人物(恋しそうで怖い)
好きな人には好きと言わないと何もはじまらない。言っておけば向こうにその気があれば動いてくれる。私は女だから待っている。私は1ミリだって動かない。これからもずっと。
以上。
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