自分が小さく弱く貧しい人間であると思えば思うほど幸福な気持ちになった。寂しさにかまけて人に頼るよりも孤独に浸っている方が私は心の傷が癒されていく。頼ってほしいと言われても素直になれないのではなく、孤独を癒すには自分の存在をちっぽけにしていくことが必要だった。
気難しい性格だと言ったのは母だった。優しすぎる性格だと言ったのは父だった。どちらも私を心配して言った性格だと思う。私を信じて送り出してくれたのは父だったし、不信がゆえに連絡を途絶えさせたのは母だった。心配しているという言葉を多用した母と、言葉もなくただ笑顔をくれた父と。私はどちらに似たのだろう。弱く小さく貧しい私は眼前の夜景に過去を見る。時間が好きだった。過去も未来も現在も、時間という概念にとらわれて生きている。年を取ることが好きだとか、若いときの思い出とか、とにかく時間の概念に私は取りつかれるように考える日々が続いている。
ぷんちゃんと出会って、パンさんと出会って私は時間の流れに感謝している。86年に生まれなければ私はこの人生を得ていなかっただろうから。
嘲笑とほほ笑みは違う。失笑と沈黙は違う。
笑わない人が好きだった。そんな人がふと漏らす笑顔は儲けもの、めっけもんだ。
悲しみの奥にある優しさを探ることが好きだった。誰にも見つけられていない宝物を探し当てたときの悦びはトレジャーハンターにしかわからない絶頂だろう。
この弱さを、この貧しさを、この愚かさを誰かに見つめてほしい。そう願いながら孤独に身を落とし心の傷を癒していく。
見た目以上に苦労している人が好きだ。見た目以上に考えが深い人が好きだ。見た目以上にまじめな人が好きだし、見た目以上に情熱的な人が好きだ。多くの人が価値を見いだせない部分に真の価値を見いだせたとき私は自分を信じることができる。他者の美点は自らの自信につながる。
看板を忘れて、地位や名誉を忘れて、丸裸の魂を見て私はいつも恋をする。だからどんなに孤独な夜が私を脅かしても私は喜んで夜明けを迎えられる。誰も知らない隠れ家が私たちにはある。私だけが見つけた最高の美点が私たちの暗号であり、私たちだけの鍵だった。
恋人になりたいなんて思っていない、そう言い切ることで私は相手を試している。さあ、私の何が見える?と問題を出している。
文章が私を整える。とんちのような問答は私が最も好きな遊びだ。
ハレルヤ、アレルヤ、Hがあることの意味とないことの意味を考える。ああ、ぷんちゃんがいる世界とパンさんだけの世界のようだ。
私の孤独はこうして私を整える。こうして冬のひんやりとした夜に浸していく。
一人ぼっちの夜、すれ違うカップルが私の気分を盛り上げる。孤独の夜こそ、人のぬくもりが私を家族のもとへ帰す。
寂しくなんかない、私は強い。そうやって人生を進んでいくつもりだから。強がる私に神様があきれ顔で諭す、
「素直になりなさい。苦しいときは苦しいって言えばいいんだよ?」
ちぇ、神様まで稲葉さんみたいなことを言いやがる。
小難しい文章で自分をドラマチックに飾り仕立てても神様はなんでもお見通しだ。
結論:みんながいないと、つまんない…(‘ε‘@)/////
0コメント