今日は別のシェアオフィスで仕事をした。いつものところよりも若干せまいこちらもこちらで落ち着いて仕事ができる。商業施設の喧騒とは別にここには独特の静寂がある。同じ日曜日とは思えないほどに別世界だ。落ち着いたところが好きだ。目立つことがすごく嫌いで、人に見られていると思うと何もできなくなる。ぷんちゃんのお友達は私が慌てふためく様子を面白がってわざと私の真ん前に座ってご飯を食べているけれど、そんな身内の視線にさえ私は挙動不審になる。知り合ったばかりの人々に「見た目と雰囲気の割合に恥ずかしがり屋なんだね」と必ずと言っていいほど言われる。見た目も雰囲気も話し方も横柄な部分が多いから私自身「ですよね、、、」と苦笑いしてしまう。
いつものシェアオフィスは今日のオフィスよりも若干にぎやかで、リモート会議をしている人もいるし、面接のようなことをしている人もいる。経理の話をしている人もいるし、コンシェルジュのお姉さんが常駐して適宜お掃除をしてくれている。この、いつものシェアオフィスにはぷんちゃんとぷんちゃんのお友達がよくいてくれる。まるで学校のような、まるで家のようなオフィスで私は朝から晩まで小説を書いている。彼らもまたただ仕事をしていて、私は特に仕事中は無言を貫いているわけだけれど本当に居心地が良くて好きな我が家だと思っている。
ぷんちゃんが必ずいるわけではないけれど、あのシェアオフィスに行けば誰かしらいる。ラインやメッセージアプリ、電話で約束をせずとも必ず誰かがいてくれる。SNSが苦手な私にとってこんなにもありがたいことはない。父が亡くなり、私の故郷はこの千葉になった。そして、家族もぷんちゃんやぷんちゃんんお友達へと本格的に遷移した。
平安遷都は、以前の平城京から都事態移したという意味の言葉だが、私のふるさと遷移もまさにそれに似ていて機能をまるごと千葉に遷移したと思っている。機能の移転だから、今までやってきたこと、やってほしいこと、温かさやぬくもりの機能がただ単純に千葉に移されたということができよう。
この街にはみんながいる。だからこの街自体が私にとっては家のような気がする。コンビニに行けば誰かに行き会い、道を歩けば誰かがランニングしていて、スーパーに買い物に行けばお友達家族が食料品を見ている。
ビーズのcallingでは「約束などすることはないだろう」という歌詞があるが、今ありがたいことに私は約束することもないから約束を反故にされる心配もなく暮らすことができている。だれにも真似できない同じ夢を見たぷんちゃんとパンさんがいるこの街で私はふたりを読んでいたのかもしれない。強い磁石が私たちの体のどこかについていたとしたのなら、すべてのことは必然だったのだ。ぷんちゃんが広げてくれたこの街も、お友達も。
まだまだ女性という存在にはトラウマがあって、ぷんちゃんやパンさんのお友達の女性さえも怖いことが多い。ただし、私には明確な夢がある。ぷんちゃんやパンさんの女の子のお友達にトラウマが癒えない今だからこそ言っておこう、
「私の心身の調子がよくなったらいつでも遊びに来てね!待っているよ!」。
トラウマの渦中にあってもみんなが大好きだよ!の思いを込めて。
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