真珠湾攻撃について考察する。
先の大戦のきっかけとなった大きな出来事だった。前後について私なりの考察だから史実に私見を交えている点はご理解いただきたい。
真珠湾攻撃の前、日本が大東亜共栄圏をかかげて東アジアに侵攻した際、時のアメリカ大統領ルーズベルトは言論で日本を挑発した。日本の軍備がとても貧弱であること、石油の輸送路を止めてしまえば身動きが取れないこと、そして、短期決戦に持ち込めるから自国への被害もほぼない。しかし日本の暴走を止めようとも、アメリカはその時日本とは戦闘状態には入っていなかったし、自ら宣戦布告してしまえば戦後処理にも困ってしまう。不利な戦いをするほど大義はなかったし、ただただアメリカは子供じみた戦争を早急に終わらせたかったのだと思う。ただただ自国の経済のために。
ルーズベルト大統領を中心に日本への言論の挑発が続いた最中、関東軍を中心とした内部の軍部が真珠湾攻撃を決定し決行した。
日本が最初に攻撃したから、アメリカは名実ともに「やられた側」となる。
太平洋戦争はアメリカの目論見通り短期決戦で終結し、日本は軍法会議で大きな責任を取らされ、現代の政治体制にまで不思議な余波を残している。
戦争はいけない、平和でなければいけない、軍を持つことは戦争につながる。
そもそも論を言えば、言論の挑発にのった日本の語彙力とコミュニケーション能力の稚拙さが多くの犠牲者を出したと言っていい。敵性語を使うなと指導した軍の方針が敗因となったことも事実だろう。敵性語を学んでいればアメリカに対してもそれなりに言論に才能のある日本人が現れて相対して挑発に挑発で返せただろうに。しかも、主導的立場を担った関東軍は陸軍で海外の状況や軍備をよく知っている軍関係者とは言えない。強大な力を国内で持つことができたのは、狭い視野と誘導しやすいメディアとずぶずぶだったからで、やはりどんな世になっても戦というのは情報戦が6割を占めているのだと思う。
やられたらやり返せとは父の教えであり、力で負けて言葉で勝つことを身をもって示したのは父であった。
父はどんな強大な敵に対しても立場で負けても言論では負けなかった。そのためにかなり多くの敵を作り煙たがられた。しかし、下級生や新入社員など目下の人や同僚からの人気はかなりあった。出世できなかったのはお世辞が言えず、太鼓持ちになるくらいなら辞めてやるくらいの気性の荒さが災いしたからだ。
どんなに言い訳をしようと、しかけた日本が名実共に悪いだろう。どんなにアメリカが挑発的だったと言っても、実際に攻撃をしかけたのは日本だ。
コミュニケーション能力の乏しさが今もなお日本の弱みとなっている。
同じ言葉を利用して同じ作戦でうまくいくのは国内だけの話で、他国と戦争をするなら他国のやり方に合わせて戦う必要が有るだろう。
同じ土俵に立ってはいけない。しかし、同じ土俵に引きずり込むのはありだ。
弁解は必要ない、私たちは弁解を求めていない。事実の謝罪を公の場で求めている。たった、5文字で事は済む。
勘違いされては困るからはっきり言っておこう、「あいしてる」や「ありがとう」じゃない、私たちが求めている5文字とは「ごめんなさい」だ。
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