目に映るものは自分が決めている

母教会での礼拝のため朝はぷんちゃんたちに連絡する間もなく出かけた。今日の説教個所はマタイによる福音書23;37~24;14「耐え忍ぶものは救われる」という説教題による礼拝だった。

エルサレム神殿のオーラはイエス様の弟子たちでさえも圧倒してしまうような素晴らしさであったらしい。信仰の象徴なるエルサレム神殿は人が作ったにもかかわらず永久不滅で崩れることはないと、恐れ多くもイエス様に諭すように語っている印象を聖書からは受ける。

イエス様はエルサレム神殿を見て憐れみ、血のにじむ思いで嘆かれ叱る。エルサレムよ、律法学者よ!と。

イエス様の預言はこうだ。せっかく素晴らしいものをいただいているのに、不信仰ゆえにエルサレムも律法学者も神から見放される。早く気づいてほしいというイエス様の預言は決して何者かをスケープゴートにして、団結力を強めようとするものではなかった。人柱として律法学者を敵にしたてるものでもなかったし、時のユダヤ人社会が自分を受け入れないからと人々を扇動しようと意図するものでもなかった。

新約聖書には実に多くのたとえ話が掲載されている。直接的な言葉では語らず、ごく自然な生物や生活に例えて倫理観を語っている。

なぜたとえを用いて話すのか?神の子であるならば、直接的な言葉で具体的な規律を示して法が合理的というものではないだろうか。日本の憲法のように、世界中のあらゆる規則のように。

今一度私は、実生活と照らし合わせてみた。

理解するためには教えられるよりも自分が体験することが一番だと思う。成功体験も失敗体験も誰かに指示されたものでなければないほど自分の心と記憶に刻まれていく。痛みはいつの日か優しさのアイディアになるし、苦しみはいつの日か思いやりのアイディアになる。

誰かに教えられた言葉であると、ただそれをしゃべっているだけの九官鳥になってしまうだろう。預言とは神から預けられた言葉であるが、その預けられた言葉を増し加えて運用していくことを神はひとりひとりに願われる。たとえを用いて示された理由はやはり、それぞれのやり方でより増やしていってほしいからであろう。ひとりひとりの資産運用は世のため人のためとなる。この場合の資産運用とは決して貨幣経済の内のお金の話ではない。預けられた言葉を資産運用すれば、優しさと思いやりという資金が増えていく。預貯金は誰かに分け与えるほどに余裕があれば、今貧しい思いを抱える人々の種銭となる。

ひとりの豊かさは誰かの豊かさのきっかけとなるから、同時に公平に豊かになる必要もないのかもしれないと最近私は感じている。

ぷんちゃんもそうだ。私がぷんちゃんの存在を知らない日々、人知れず私の誕生日をひとり祝ってくれていたし、私の節目の時にはそれとなくメッセージを送ってくれていた。とても鈍感な人間で自分の範疇の、いわゆる身内にしか目が向けられない人間だから、遅ればせながら今日あらゆるメッセージに気づいた。ぷんちゃんごめんよ。

たとえを用いて話すように、ぷんちゃんは遠慮がちにそしてダイレクトに私に思いを伝えてくれていた。そんなぷんちゃんを不憫に思ってか、パンさんは昨年から事あるごとにぷんちゃんの話をしてくれていたことも急に思い出した。その話題が出るたびに私はスルーしてしまっていたわけだけれど。。。

松任谷由実の歌に「やさしさに包まれたなら」という歌がある。歌詞の中でユーミンは「目に映るすべてのものはメッセージ」と歌っている。

私たちは情報社会の中で適切に情報を読み取っていかねばならない。自分の都合の良い情報だけを選び取れることがインターネットの怖さであって、真実を知るためには見たくないほうの情報と照らし合わせて検証が必要だ。こんな可能性はないと疑うような内容でも、なんとなくそんなふうに思ったらそれは「ご聖霊」の働きであるから、検証対象としたほうがいいだろう。ご聖霊の働きとは平たく言って直感だ。私たちが直感を信じるべきなのは、ここも神の御国なればに起因する。神が与えられた思いをこの世の常識以上に大切に扱うこと、神が与えた思い、すなわちそれが預けられた言葉、預言である。

情報戦という言葉は戦国の昔からある。情報を制する者が戦に勝った。

情報のほかにもうひとつ、軍備以上に大切な勝因がある。時間だ。時間は嘘をつかない。過去なのか未来なのか、過去により未来が作られているのか、未来からの使者により過去が塗り変えられていくのか。


ダイレクトな言葉を信じるのならば、それ以上の謎解きはいらないだろう。暇つぶしのゲームとしてはそのくらいで止めておいた方がいい。それぞれには与えられた持ち時間がある。他人のことに踏み込むことほど時間の無駄遣いはない。

ぷんちゃんは約半年、耐え忍んだ。私に認知されないもどかしさに苛立ちながらも、沸々とたぎらせながらも半年も耐え忍んだ。その半年のうちにぷんちゃんは何をしたか。準備をした。あらゆる準備を長期スパンで考察した。やるべきことは必ずある。やれるときにやれることをしておこう。これは友人の言葉だけれど、ぷんちゃんはまさにその通りだった。

ぷんちゃんは大物になる。私の友人もなかなかの傑物だから。




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