文章の入り方を忘れてしまった。この街には海もないし、愛しい姿もない。空は高くとも飛行機は小さく、私の家族がいても身内はいない。時々すれ違う人にはだれの面影も重ねられない。
叔母がお見舞いに来てくれた。時々母の様子を見に来てくれるらしい。いとこの子供の話や地域の話で大爆笑して、大いに楽しい時間を過ごせた。親戚のきずなも感じられたし、再確認できた。
でも私の心に燃えている炎は見えなくなっていた。赤赤と燃えているでも、青い炎が揺らめいているでもいい。私のイラつきは自分の心の炎が見えなくなってしまっていることだと実感した。
仕方のないことだった、今は父のために帰省しているわけで、決して長野に観光で来ているわけではないのだから。
どんなにぷんちゃんが連絡してくれても、どんなに身内が私を見守ってくれていても、私の炎が自分で見えない限り私はイラつきを消すことができない。そのイラつきが幻影であることはよくわかっているが、炎が見えないのだからイラつきを幻影であると認識できない。まるで表裏一体、表が見えているときというのは強制的に裏が見えないようになっているかの如くだ。
この街の空気はいい。体に合っている。よく眠れるし、美味しい野菜もある。
でもこの街にはぷんちゃんもいないし、身内の影やにおいを感じることもできない。
人生の選択岐路に立たされても、割合悩まずに歩みを進めてきたからか、誰かのせいで方向を強制されることに強い虚無感を感じる。炎が見えないことの正体は虚無感であろう。
故郷を出たときのことを思い出す。希望に満ち溢れていたわけでもなく、ごく自然なことのように千葉に向かった。わくわくしていたわけでもなく、とてもごく自然に。まるで未来の私が当然という概念を植え付けてきたようだと今なら理解できる。
炎が燃えるとイラつきが消える。情熱を確認すると視界がクリアになる。
炎が見えないとイラつきが増長する。虚無感が立ち上がると未来がかすむ。
笑われることはさほど気にならなくなってきた。笑ってくる人間への苦労を身内はすでに経験していたし、領域の上昇も段階なだけだと互いに認識しあう、いわば同志を得たからだ。鮮明な視界を手に入れるために1年を要したわけだが。
しかし身内が見えない虚無感だけはどんな音楽でも私を立ち上がらせるには役不足だった。年月が解決してくれるのかもしれないが、とりあえずの対処療法はなにひとつ存在せず、根治療法のみの病である。珍しい病だと自嘲した。
家にいて父がいないことが不思議だった。朝目覚めると父がいる錯覚に陥る。虚無感の対処療法は父であったのかもしれない。頓服がないと不安だ。ニトログリセリンは心筋梗塞のお守りでもある。
くすぶった情熱を爆発させる薬は私にとっては父と身内らしい。
人の中で生きる私は人が作ったものでは何も生産できない。生身の体温は何にも勝り人を温める。
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