GIVE ME GAKUWARI!!!!!!!!

大学生になって早一年。コロナのせいで入学式もオリエンテーションもろくすっぽ対面ですることはなく、大学生というバッジを持っていることさえも忘れてしまう1年だった。私は社会人学生だから親にお金を出してもらっている身ではない。すると「勉強は?」と発破をかける支援者、後援者もいないわけだからさらに大学生であることを忘れてしまうように思う。

「あのさー、めぐみ学割使いこなせなった気がするんだよねえ、、、」

これはある種のぷんちゃんへのプレッシャーでもあるわけだが、学割が使えることはとても素晴らしい。18歳で大学生になるよりも、お金に苦労してきた分、金銭感覚がシビアだからこそ学割の偉大さ、そしてそれを使いこなせなかったことへの悔しさ、そして何よりも学割を前面に押し出すことで日本は大きく変わる。

18歳で大学進学を果たせなかった多くの大人が学歴をそこで終わらせてしまっている。だれに吹き込まれたのか、学生になる賞味期限が切れているとか自分は頭が悪いとかそんな印象に閉じ込められているように思う。もったいない!

もちろん、学歴をそこで区切っておくことは悪いことではない、技術を磨いてその道を究めることは私のような飽き性な人間からするととてつもなく憧れる才能だから。


しかし、既存の技術を磨きながら自らの新しい才能を発掘していくこともまた素晴らしいことだと私は考える。人間の才能は本人が思っているよりも大きく豊かである場合が多いからだ。新しい学問に触れること、未開の森を開拓せずに新しい自分に出会えることはない。人との出会いであったり、学問であったり、趣味の開拓でもいいだろう。

この三点に関して、制度を利用して名実明らかなお得な開拓方法が新しい学問を学ぶということだと思うのだ。

学生になると学生証をもらえる。するとあらゆる学割サービスが発生する。新幹線も、美術館も、そして映画のチケットも。もちろん社会人学生の一番の目玉は税制優遇だろう。年末調整、確定申告の際に控除項目として適用される。学んで、遊んで、さらに税制優遇。パラダイスか!

現状、社会人学生に適用されるエンタメ系の学割は乏しい。携帯会社の学割さえも年齢制限がつけられている。これは大変惜しいことだと思う。

国家百年の計は教育に在り、ノーベルウィークに突入した今週はさらにリアルに感じられることだと思う。百年前に先人たちはい「今」を見ることなく、将来に投資した。教育に本腰を入れ始めたのが約百年前だと思うからだ。それから五十年経過してもノーベル賞受賞者は多くなかった。ところがほぼ百年が過ぎた昨今はどうだろうか。毎年、日本で幼少期学校生活をしていた人々がノーベル賞を受賞している。

まさに国家百年の計は教育に在り。視点を現在に変えてみよう、今の教育体制で百年後どんな日本が待っているだろうか。今を見ずに未来に投資するとしたら何ができるだろうか。大人の責任という言葉以上に壮大な夢を見れる気がする。スターウォーズの主人公に「今」私たちがなれるチャンスがある。

学割がもっともっと広まれば学ぶ人が増える。社会人学生が増えれば若者の気持ちがわかる大人が増える。同列の学生という社会人を見れば学生は現実をポジティブにとらえられる。

就活は怖くない、離職は罪ではない、転職は飛躍のチャンス。

経験談に勝るライフハックなし!




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