11月18日15:07、父が帰天した。
16日のお昼ごろ母から電話がかかってきて、一時帰宅もせずにそのまま東京駅へ向かい帰省。すでに意識のなかった父。目も閉じていた。連絡すべきお宅を事前に聞いていたから私は滞りなく電話をすることができた。ご無沙汰していますからはじまった挨拶が実際のところは「はじめまして」であることも多く、親戚づきあいの一切を今まで父が担っていてくれていたのだとつくづく思い知らされた。
翌17日、目をしっかりと見開いた。私はこれはまた意識が戻るかもしれないと期待した。生命力に驚かされ、ヘルパーさんたちも緩和ケアのドクターたちも大変驚いていた。
そして18日、左腕しか動かなかったのにこの日は足も動かしほほ笑むようにもなった。私は奇跡を信じた。しかし心の奥底ではもう楽にしてあげたいという気持ちがあった。父はこの世において私や母の心配ばかりして自分が安らげる場所がなかったように思う。父が安らげるのは父のお母さん、私のおばあちゃんのもとだと思う。
父は私が思うにマザコンだったと思う。だからおばあちゃんが亡くなるまで結婚を見送っていた。あきらめていたのではなく、今すべきことがおばあちゃんと向き合うことだったから見送っていたのだと思う。
父の血をしっかりと受け継いだ私は当然ファザコンで、一度結婚したけれどやはり父が最優先で父以上の男の人はいないと思っている。今もなお。それをたぶん父はどこかで察していたと思う。日にちを選び、ぷんちゃんやパンさんの仕事に支障が出ない日を選んで天国に帰っていった。いまはきっとおばあちゃんに抱かれて約50年ぶりの安らぎを得ているだろう。そして私もまた実家という呪縛から解き放たれ、ぷんちゃんやぱんさん、そしてお友達の優しい言葉の中で真実の安らぎの中にいる。
瀬戸内寂聴さんの駆け落ちの話を思い出し自分が慰められている。駆け落ちした当時は非常識なとんでもない女だとやんや言われただろう。しかし死してなお彼女は今尊敬の念を抱かれ、皆が思い出話をしたがっている。つまり多くの人に愛されたとんでもない人として人生を終えたのだ。
私たちの人生には多くの選択が出現し、自ら選ばねばならない場面が年齢を重ねるごとに多くなっていく。決断を迫られる事象が人生において初見であるならば、勇気をもって決断できないのは当然だ。歴史は自分の選択の参考資料となる。まさに温故知新である。
父は抗がん剤治療ではなく緩和ケアを選んだ。結果として正解であったかはわからない、なぜなら私は抗がん剤治療を受けた父と共に歩む人生を一度も経験していないからだ。しかし正解だったと信じる思考と経験は持ち合わせている。信仰であり、抗がん剤治療を受けた先人の結果を鑑みればいいからだ。
何がいいのか悪いのかわからなかったけれど、とにかく前進していた
とは、これはパンさんの言葉で、ふと今朝の駅までの道のりで思い出し、道はこの街につながっているのだと笑みがこぼれた。
空に輝く北斗七星は小学生以来、目視で確認した。毎年オリオン座は探すようにしているのに、なぜか北斗七星やカシオペヤ座は積極的に探すことはなかったように思う。
脳裏に思い描いた曲はビーズのオーシャン。あれは結婚式に使われると聞いたことがある。目に映るすべてのことはメッセージだ。今は正解がわからなくても、正解を信じて前を向いてこうしてパソコンに向かっていると、なんだか視界の色が懐かしくなっていく。この街は生まれ故郷ではないけれど、父が天国に帰ったことで故郷になったのかもしれない。
天国には時間がない。だから私たちがまだ地上にいても天国には私たちがいるとある牧師が教えてくれた。時間にばかりとらわれている私に父は最高の置き土産を残してくれた。時間は有限、しかし時間がないところでは永遠が広がっている。どの位置に着地してもそこは着地ではなくスタートであるだろうし、スタートだと思っていたらすでに到着点かもしれない。
すべては神のみぞ知る。時間も空間も物理現象だけで考えているだけじゃないの?
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