「転べ!!」


私は忙しい。のめりこみやすい性格だからだと思う。多くの人が3忙しいと感じていると、私はそこに×3で忙しさを感じる。つまり、同じことをしていても性格として忙しいと感じやすい、それだけのことであるが、そんな性格と共に生きているのだから体はとても疲れやすい。

物事をなんでも深く考えるし、物事を深く考えて答えが出るまで熟考するからさらに熱量が増していく、結果心身の疲労が臨界点を越してしまい病気になったりメンタルの不調をおこすというわけだ。

今の私は友達が昨年の100倍くらいに増えたもので、心配先が自然と100倍に増えた。あの子はどうしているかな、あの人はもしかしたら困っているかもしれない。朝メールを見たりすることがニュースを見ることと同じ熱量で重要な作業となっている。これは好きでやっていることだからいいのだが、問題は私ののめりこみやすさが災いして自分の仕事に時々支障を起こしてしまうことだ。ニュースを見る時間やメールをチェックする時間を決めなければ小説にうまく感情移入できないと感じている。誰が悪いわけではなくて、私自身ののめりこみやすい性格との折り合いの話である。

小説を書いているときは好きな人のことだけ考えていられる。余計な嫉妬やもめ事に思いをはせないで済むから私は幸せだ。街を歩いているだけで嫉妬やネガティブな感情を思い出し、そのことについてのめりこんで熟考してしまう。小説を書いているときは嫉妬もネガティブな感情もなくいられる。だから小説を書くことが好きだった。

折り合えたらいいのにと思う日々だった。折り合えたら私が何よりも欲していた普通な暮らしができたと思う。普通科の高校生として青春を謳歌し、大学に行きサークルとかそんな類の若い日にしか味わえない無茶なことをして、一通りやりつくしたからと落ち着いて結婚を望んで、そんなふうに昔を振り返って、結婚式には一定数の互いの同級生を招いて、余興に大笑いしたり。そんな普通にいつも憧れていた。でも折り合えなかったから私は高校生の時は通信制を卒業するしかなかったし、ろくに友達もおらず青春の若い日に楽しめるようなことはすべてできなかった。恋愛でも取ったとか取られたとか、告白されたとかそういうふわふわしたものとはほとんど縁がなかった。

経験がないから今も恋愛の嫉妬とか取ったとか取られたというような場面に遭遇すると、「じゃ、じゃあ私はいいです」と一歩引いてしまう。争うことが嫌いだったし争い方を知らない。どんなふうに折り合ってどんなふうに無視していいかもわからないから、ひとつひとつ真正面からぶつかっていくしかないのだ。無視したらあとで痛い目に合うかもしれないし、折り合ったらそれは実際は失礼にあたるかもしれないから。とにかく経験がないからぶつかるしかないのだ。

ぶつかって転ばないと解決策が見えてこない。普通の道をたどって転ばないでやればいいのにと時々言われるが、普通の道を信頼できない、これが本音だ。それに自分のやり方でぶつかって転んだ方が痛みとして体にも心にも残るから次は転ばなくなる。

小さいとき、父とスキーの練習をした。普通なら「ハの字で止まるんだよ」と丁寧に教えると思うが、うちの父はなにせ荒っぽくていい加減だから、私が変な方向に行きそうになると後ろから大声で「転べ!!!」と叫んだ。転べばそれ以上進まなくなる。私は父が言うように八の字を覚える前に転ぶことを覚えた。転ぶと後ろから父が来て、にっこり笑って「大丈夫か?」と言った。私はきょとんとしながら頷く。何事もなかったように父は私を立ち上がらせてくれる。ゲレンデは騒然としていた。大きな声で転べ!!と叫ぶのだから注目の的になるのは当たり前だ。父は意に介することなく私だけを見ていた。

ぷんちゃんやぷんちゃんのお友達は父と同じように私が転んでも何も言わない。「ほら転ぶと思った」なんて発想は思考の端にもないのだと思う。笑って起き上がるまで待ってくれている。そして起き上がったときは、転んだ原因をすべて取り去るようにいしてくれる。豪快な性格で男より決断力があると時々勘違いするが、転んだあとのぷんちゃんたちの優しさを見ると私はやはり女だと思わされる。言葉はほとんどない、ほほ笑んで「大丈夫?」とだけ声をかけてくれる。あとは任せろという強さがそのほほえみに隠れている。

私たちには役割がある。男女関係なくぷんちゃんやパンさんとぷんちゃんのお友達の御腕の中で私は今日も女の総大将として力強く振舞えている。私が強いのではなくて、ぷんちゃんたちがいてくれるから強くいられるのだ。





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