偽ることは今のテクノロジーからしたら簡単だ。しかしホンモノを継続していくことは逆に難しくなってきている。この先もその難しさを維持していくしかない私にとって、偽ることが簡単であるからと言って手を出したいとは思わない。まじめな性格だからと言えるかもしれないが、私は真面目で今の立ち位置まで来ることができた。若いときの苦労は買ってでもするべきだとはよく言ったものだ。
苦労と努力は裏切らない。どんな立ち位置の人もそこにたどり着くまでにはテクノロジーを駆使したり工夫しただろう。立ち位置が変化するたびに私は人の苦労を知っていくような気がする。
あなたはもともとめぐまれているからとよく言われた。あなたはそのままでも愛されるからと。だとしてもそれが永続的に続くとは思わない。だから今日も昨日の失礼を悔いて努力している。巻き返そうと、述懐を繰り返す。
気にしすぎなのではなくて、人に嫌われることを極端に嫌うからだ。
私の場合、努力の根底には恐怖がある。夢をかなえたいために努力している人々が私の目にはまぶしく美しく映る。本当にうらやましかった。
努力の根源が何であっても私は人が努力している姿は美しいと感じる。しかしながら、その人と仲良くできるかはまた別問題だと感じている。残念だけれど。偽ることでその地位が確立されたのなら、そのテクノロジーへの賛美が必要であろうに、それを忘れている人の何と多いことか。
街で働く建設業のおじさんたちや、ごみ回収の業者さんたちは私たちのテクノロジーだ。感謝をどう伝えているだろうか。彼らがいなければ私たちの生活は崩壊する。ゴミがたまり、蠅がわき、うじだらけになる。公衆衛生の根幹はごみ収集の業者さんたちであり、舗装工事をしてくれる方々いなければ私たちは自由に日本中を旅することもできない。
どんな態度をとっているか今一度思い出してみよう。トイレ掃除の方になんとなく「ありがとう」と伝えているだろうか。掃除がしやすいように、気を使っているだろうか。それが大きな飛躍のきっかけになることも多いはずだ。
シンデレラストーリーとは小さなことをまじめにこつこつとするところからはじまる。小さなことから、そして地道なことから、それから人への感謝と気遣い、思いやり。人がやらないことをやる偉大さは誰もが見えないものに目をむけることからはじまる。私たちの視点はもっともっと鋭敏になるように日々訓練が必要だ。その訓練は今からでもできる。
真実は小説よりも奇なり。小説やドラマはすべて真実をもとにしていることを今一度思い出してみよう。
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