毎日が記念日


ちょうど一年前に何を思ったかはよく覚えていない。でもハロウィンは私にとって昨年からとても特別な日になっていたらしい。

今日は私たちにとって記念日でもある。

もともと私自身ハロウィンに思い入れはない。キリスト教にとってハロウィンは年中行事というよりもお祭り、イベントに近い位置づけだったし、何よりも田舎で育った私にはそんな舶来品の文化はなかった。英語塾で少しだけ文化に触れたような気もするが、中学時代も高校時代も20代もアラサーになっても楽しんだことはなかった。

実際、今年もハロウィンは客観的な視点でみつめていた。白状すれば今日が特別な日であることはリマインダーに教えてもらっただけで、私自身は覚えていなかった。いやはや、ぷんちゃんとの記念日はどれだけ覚えていられるか、これからの課題である。

パンさんとのたったひとつの絆がハロウィンの写真だった。まるで結婚指輪のような一枚の写真。クリスマスツリーのような、かぼちゃのその写真を後生大事に今も大切に保存している。ぷんちゃんがその写真を共に見つめていたことを知ったのはつい最近だし、昨年当時クリスマスツリーのような、そのかぼちゃのタワーはぷんちゃんだけでなく、もっとたくさんの人が見つめていたことを知ったのもつい数か月前だ。今の私にとってかけがえのない友達のすべてが思いを込めて贈った写真。必要な情報は必要な時に与えられる。私たちのいつものパターンだ。

一年前、ぷんちゃんも私も一歳若かった。一年が過ぎて一歳私たちは年を取った。何も変わっていないようで変わっているのかもしれない。ある著名人は過去についてこんなことを言っている。過去は将来への準備である。だから過去を語りだしたときは衰退のはじまりであると。

衆議院選挙と同じ日がハロウィンというのも面白いめぐりあわせだと思う。死者の復活、温故知新のように過去を解きほぐしていく衆議院選になるのか、それとも未来を見据えた継続的結果となるのか。どちらにしろ、どんな結果であれ将来の準備のために嘆いている暇はないだろう。

昨年の私は未来を見据えてその時を懸命に生きていたわけではないし、今年のような着地点を創造して動いていたわけでもない。すべては偶然のようでいて、ぷんちゃんたちの間では必然であって、ぷんちゃんに連なるお友達にとっては私以上に青天の霹靂だったと推察している。

コロナが流行し始めた頃と今では全く風潮も流行も違う。そこにたどり着こうと想像せずとも流されてしまうし、そこにたどり着こうとしても漂流させられてしまう。人生の嵐をうまく航海する秘訣は一つだけ。嵐が常に起こることを自覚し続けることだ。備えられなくともそれが来ることが当然であり、決して突然の不運ではないと思うこと。不運ではないのだから幸運だと思い込んでしまうこと。

イタリアの船乗りは言う。

「人生は簡単だ。その日に満足してしまえばいい、たったそれだけのことだ」と。

朝起きて、家族がいて、健康で、うまいものが食える。宝くじにはずれてしまうことは満足ではないけれど、それでもまた次の宝くじに挑戦すればいい。

一年後の想像をして思い悩み悲しみ嘆く暇はない。人生は短い。死は今日も向こうから歩み寄ってきている。拒否権も拒絶する術も私たちは持っていない。

ハッピーハロウィン。お菓子をくれないと悪戯しちゃうぞ。

ぷんちゃんがふざけて甘えてくる。私はこう返す。

「同等の権利を持っている私たちは互いに与え合うべきである。どうだろうか、互いにサプライズお菓子を用意するというのは」






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