大勝負


選択肢はふたつ。伸るか反るか。

勝負師の父が好きだった。

大博打をうてるほどにお金はなかったから、宵越しの金が持てない程度のささやかな額だったけれど、確かに父は勝負師だったと思う。

株式投資、競馬、麻雀。そんなものを趣味の範囲でやってはいつも負けていた。勝負事で負けることが私は大好きだった。「また負けたの」と大笑いすると、あれが良くなかったとかこれがいけなかったとか言い訳を気恥ずかしそうに並べている父が面白かったからだ。

この帰省中、母と大喧嘩して父を泣かせてしまった。父はその時私をベッドに呼び寄せて、泣きながらこう言った「俺の子育ては間違ってなかった。娘がこんなに親によくしてくれるなんて話聞いたことねえ」。最大の栄誉をもらった気がした。

親ガチャとはよく言うが、親だって子供ガチャと感じることはあるだろう。父はその子供ガチャの勝者だと思う。娘は生れたとき気が弱かった、妻との教育方針が違ったものの、父は自分の教育方針を貫いた。結果自分の満足が行く娘に育ったのだから。私の保育園の卒園アルバムに父が寄せれてくれた言葉がある。

「友達と仲良くすること。いじめないこと。元気でいること」

子ども時代からいつも言っていたことは「友達と仲良くしろ。いじめられた友達がいたらかじりついてでも守ってやれ」。勉強をしろとは言わなかったし、いい大学に逝けとも安定した職業に就けとも言わなかった。ただ、健康で友達と仲良くしろと言った。

今私には多くの友達がいる。友達とはまだ言えないような距離感ながらも仲良くしてくれる人が本当に増えた。父の癌がみつかったあたりだから、世界はよくできているなあと驚く。自分の想像を超えて大きな出会いと愛にまみえる今の私は実感をもって、まさにここも神の御国なれば、だと確信している。

さて、父は癌を患い人生最大の大勝負をせまられている。

かなり進行した癌は抗がん剤を使うことさえ躊躇してしまうほど病状はよくないらしい。しかし、今、決断すれば最後のチャンスが与えられる。抗がん剤は主に三種類あるが父の体に使える抗がん剤は一種類のみ。それも体力的にも気力的にも進行具合としても「今」がラストチャンスだそうな。

もちろんよくなる確証はない。副作用も千差万別だそうで、副作用が出まくった割には寿命は緩和ケアと変わらない時期となることも予想される。まさに伸るか反るか、である。

父の小学校の応援歌に「勝負は時の運なれど、勝たねばやまぬこの思い」という歌詞がある。父の愛唱歌でもあり、この応援歌を胸にこれまでの人生を生きてきた。

今日の診察で父は抗がん剤治療か緩和ケアかの選択の時に、こんなことを言った。診察と検査が長時間にわたり、処置室のベッドで休んでいたときのことだった。

「俺はたぶん12月にいくな。ご先祖さんがみんなそうだった。終末か」

緩和ケアを望んでいる節もありつつ、生きたい気持ちも交錯していた。私は父の思いを見抜いてはいない。そう感じただけだった。だから私は私の思いを混ぜてこう答えた。

「パパ、私は来年36歳になる。パパに誕生日を祝ってもらいたい。だめだろうか」

娘の威力発揮である。父は黙った。

「勝負は時の運なれどだ。大勝負してみようよ」

「でもな、、おっこされたらいやなんだよ」

人体実験のように自分の体が化学療法で壊れることを恐れていた。本音を言えるということは思考がまわっている。つまり生きるために考えを巡らせているということだ。

「心配ない。そこは私が先生に話をきっちり聞いている」

「俺なあ、目標が85だったんだ」

今回は入院も伴う。癌に伴う腰痛がひどいため、腰に放射線の照射をすすめられたのだ。期間は2週間。私はその腰の放射線と、胸への抗がん剤治療を併用してほしいと主治医にお願いしていた。入院はしたくないという気持ちも父のなかでは大きい。未来を考えられるほどに余裕がないことも表裏一体ながらも病状を物語っている。

「パパ、2週間の我慢で10年生きられたら勝ちってもんじゃないか?あとな、めぐみ、今年はまだ司法試験受けられないんだよ」

父は私が大学に入学した時にこんなことを言ってくれた。おまえが弁護士になるまではお父さんかじりついてでも死なないからな、と。嬉しそうだった。大学に出してやれないことを今もなお悔やんでいるから、あの時の父は本当に誇らしそうに私を見つめていた。

決断はいったん保留となった。私は千葉に帰らなければならなかったし、父も決断できるほど体力が残っていなかった。

今週末は天皇賞だ。いよいよ今年もG1が本格的な季節になる。競馬の一年の〆は12月の有馬記念。ここで父の人生がしまいになるか。

競馬は年が明ければまず金杯がある。競馬の一年のはじまりだ。

宵越しの金を持たない父なら、癌も今年で消化できるはずだ。

勝負は時の運なれど、そして、小さい賭け事にはいつも負けていた父だが大勝負では必ず勝っている。

人生最大の大勝負だ。パパ、ここで勝たねば男が下がる。伸るか反るか、一発逆転大ホームラン打ってこそ男ってもんだろう!めぐみにかっこいい姿見せてくれよ。

大好きよ、パパ。めぐみにとってパパはいつだって世界一なの。

めぐみは信じているから、あきらめないから。


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