オアシス


強がり続ける私にとってぷんちゃんとのメッセージのやりとりはオアシスみたいなものだ。かなり単純な性格である自覚はある。仕事がうまく進めば機嫌がいいし、ぷんちゃんの仕事がうまくいったという報告を聞けば嬉しくなるし、友達が仕事をあらたにはじめたと聞けば私も頑張るぞと雄々しい気持ちになる。反対に友達が悲しんでいれば怒りがわいてくるし、ぷんちゃんがいじめられていると聞けばあらゆることへの視点が厳しくなる。私の目に映るすべての人々が平和で幸福で笑顔にあふれていることが私の願いだ。

願いは目的にしてしまうことで私は人生を前進させている。父親の病気に関しても同じように言えて、元気になってほしいという願いが、元気にするという目的になっている。

目的にした以上はあらゆるアイディアを絞って実行し試してみる。今までの経験をもとに私はチャレンジする。

しかし、私も人間だから限界があって、だけど目的が魅力的であればあるほど知らず知らずに無理をしてしまう。無理をすると必ずけっちんが返ってくる。メンタルの崩壊だったり体調不良だ。

牽引し鼓舞する旗振り役は楽しい。ポジティブな言葉が人を成長させるとわかればわかるほど言葉の技術を磨きたくなる。ここでまた願いが目的へと変換される。


ぷんちゃんとのメッセージのやり取りは基本的に中身がない。本当は見せたいくらいなのだが小学生が見ても中身がないとわかるくらいにしょうもないことばかりやり取りしている。好きだとか、愛しているとか、一緒に居られて幸せとか、抱っこしてほしいとか、そんな内容ばかりでなにひとつ建設するような内容のやりとりをしていない。

言葉を商売にしている私にとってはこのくらいが実にちょうどよくて、このぷんちゃんとのやり取りがオアシスとなっている。

メッセージなんてそれくらいで充分だと私は思っている。互いにいい大人だし、互いに仕事があってやるべきこともあるから、メッセージごときに頭を使っている余裕はないし、濃い内容をやりとりするのは正直しんどい、重すぎる。デートの約束と好きだとか愛してるくらいでいいのだ。メッセージで互いの絆を深めることには限界があるし、それくらいなら言葉なく抱きしめ合ってしまったほうが簡単に思いを伝え合うことができる。

日常のオアシスは愛しているのやり取りくらいがちょうどいい。心が潤えばその日がやっていけるのだから。私たちは互いと同じくらいの熱量で取り組みたい仕事を持っている。

同じ熱量で生きていける人と出会えたことは幸せだ。ここだけの話だが、互いの仕事のために結婚前のプライベートを隠しておきたいという感性をお付き合いが始まるときに条件として伝えた。その話をしたときぷんちゃんは驚いていた、「俺も同じこと20年前から考えてたんだよ」と。

イケメンでも金持ちでも優しくても、人生の熱量が違う人とは共に生きていけないだろう。そんな意味でも同業者同士のカップルというのは成立しやすいのかもしれない。

男女は惚れた貼れただけでは続かない。大人になればなるほどに。

互いに尊敬し、互いに尊重し、互いを個人として認めあうことが基本としてあるだろう。

ぷんちゃんと私は今日もそれぞれの場所で互いの仕事にまい進している。






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