なんだかんだとふざけ合っていても、ぷんちゃんという人は厳しい。いや、普通なのかもしれないし、そんな意図もなくただ聞いているのかもしれない。もしくはただ状況を知りたくてそう質問するのかもしれない。
どんな理由をもって聞いてくるにせよ、私はぷんちゃんんが「今日はどうだった?」とか「お仕事頑張れた?」と聞かれたときに、胸を張って「うん!」と言えるようになりたい。
状況が、メンタルがとか今の私にはたくさんの言い訳があるし、実際のところ、疲れ果ててできないことも多いけれど、数値化できないからこそ私は何も実績のない一日を過ごしてしまうことが怖かった。
ぷんちゃんに軽口をたたいている以上、やることはこなしていきたいとも思っている。
サンプルもロールモデルもいない以上、自分が開拓していくしかない人生。私と似た境遇の人がこうしていたからというのは何の説得力にもならない。なぜなら、ひとりひとりの人生は微妙に異なり、感情を正しく言語化して世の中に流布している人などひとりもいないからだ。自分で考え自分で決断し、自ら歩んでいく。骨の折れることだ。
ポジティブへの変換と開き直りは似ているけれどまったく違う。長らく私は言い訳の類をすべて開き直りと考えていた。
例えば仕事をおろそかにして、誰かに注意されたとき「できなかったことに理由をつけること」、これはもういかなる理由で会ってもいいわけだと思う。
考察する。
言い訳を言い訳で終わらせるから自分の心が気持ち悪く感じるのだ。言い訳を裏付けとして行動に移せばどうだろうか。
今日の場合なら、「午後は頑張れた?」という問いかけに恥じ入った私はブログをこうして更新している。長文を羅列して言い訳をつづっている。この言い訳の羅列から、言い訳で終わらずに私はどうしたかを記している。
ブログを書くことは身内への活動報告みたいなものだけれど「どうしたか」を記載したことによって私の怠慢や恥ずかしさは、一歩前進という方向転換を果たせたように感じる。
そしてこの「どうしたか」を明日以降も困ったときに利用していけば、言い訳を言い訳で終わらせなかったことの実績となっていく。
物事のとらえ方、そして方向性というのは思考の中で無限に広がる。
ポジティブに考えられるようになったのは、もちろんぷんちゃんのおかげだ。ぷんちゃんにあきれられるような女性になりたくない、胸を張って「このくそポンコツが!」と言えるような対等な存在でいたい。
ぷんちゃんが好きな気持ちは私を恥から遠ざける。恋は改めてすごいと感じている。
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