Anytime,Thanks to we from us!!


朝10時前、母から切羽詰まった声で電話があった。まあ父のことだとはなんとなくわかったが、まさか退院の連絡だとは思わなかった。父の退院が来週13日水曜日に決まった。母は実父も義理の父も家で看取っている。帰宅の許可はイコールもう最後ということを経験から学んでいるからかなり焦っていた。焦っていたからこそ先生の話をうまく理解できなかったのだろう。母は高齢だし、運転して父の病院まで行く。往復1時間半。今日はそのお見舞いの日だったし、母自身の病院の日でもあると聞いていたから、心配になった。父のことは心配にならなかった。毎日の電話の雰囲気から悪い様子はないし、先生からもそんなお話は私にされていないからだ。母からの電話の後父に電話をした。割合明るい調子で、やはり私の予想通り、入院していても食事は味気なくて食べられないし、コロナの影響で面会も遮絶だから気分がふさぎかえって体力がつかないという判断らしい。私はなんでもポジティブに考える人間だからかもしれないが、食べれない状態で退院の許可が出るほどに病気を落ち着かせた父の生命力には感服した。大腸がんはそのままだし、肺がんもよくなったとまでは言えない。いやはやすごい、父よ、さすがだ。

「パパが落ち着くまでめぐみ実家にいると思う」

「ママが心配だから帰ってきたよ」

そう連絡すると両親は、ありがとうと言ってくれた。照れ屋な私は気恥ずかしくて「はいはい、わかったわかったwめんどくせえなw」と流してしまったけれど。


約一か月前、父からがんだと聞いたときに同じシェアオフィスにいたセンセイやパンさん、それから、知らない間にずっと帯同してくれていたぷんちゃん。そこから私の世界は広がり続け、今では父の退院を私が把握しきれないほどの多くの友人たちが祝い喜んでくれる。ありがとう、まだ名前の知らない、まだ実際に会えていない友人たちも含めて、とにかくとにかくありがとうと伝えたい。

私が何をしたのか?と時々喜びに耐えられなくて嬉しくて爆発を防ぐために哲学的になってしまう。どうしてこんな小さく貧しい自分にこれだけの人が共に喜び、共に悲しんでくれるのかと自分が嬉しくて吹っ飛ばないための自制心を意識させるために考察して再考してという時間を意識的に作る。

答えは出ないし、誰も応えてくれない。そんなときほど、友人たちはニヤニヤしているだけだ。「ねえ!」と私がむきになれば、笑って逃げてしまうから永遠に私は答えを与えられない。まるで探せと言われている気がした。

ありがとうに「なぜ?」を感じてしまう私はこれからも答えを探していく。

その答えは一生見つからなかったとしても、その探求心こそが人への謙虚さへとつながっていく気がしているからだ。

なぜか知らないけれど、よくわかんないけれど、とにかくみんないつもありがとう!!!!!大好き!!!!!


P,S

泣いている人よ、私があなたの涙をぬぐえない距離にいても私の友達があなたのそばにいるはずだ。きっと今日からも大丈夫。友達の友達は友達で、その友達はきっと友達だから!







0コメント

  • 1000 / 1000